今日はのんびり御堂筋散歩と読書 診療所に車をおき、ジュンク堂まで散歩、そして喫茶店で読書しまた散歩・・ 生き物の死にざまーはかない命の物語―稲垣栄作著を読んだ 前回読んでとても面白かったので『生き物の死にざま』の姉妹本!を 生きるとは、何だろう?死ぬとは、何だろう?コウテイペンギン、ツキノワグマ、ホタル、カエル…… 限られた命を懸命に生きる様を描いた感動のベストセラー、『生き物の死にざま』の姉妹本! 明日の命もわからない世界で、生き物たちは「今」を生きている── 今回の作品はかなり作者の気持ちが入り前回ほどの面白さが・・・ 一部列挙 皇帝ペンギンは 氷の世界で数カ月絶食して卵を守り続ける父 気温-60度風速60m/秒それが南極の冬である・・皇帝ペンギンの子育ては壮絶である 父親の子育て・・厳しい冬の寒さの中でオスが卵を抱いてヒナを孵すのである。 お互いに一夫一妻のパートナーを見つけ、5-6月に愛の結晶として1つだけの卵を授かる その卵をオスは自分の足の上に移動させる(凍てつく地面の上に少しでも触れたら卵は瞬く間に氷ついてしまう) オスだけにある抱卵嚢というだぶついた腹の皮をかぶせて抱卵する。内陸に移動しているのでメスもオスも食べ物がなく何も口にしていない。メスが餌をとって戻ってくるまでじっと卵を温め続ける 2カ月もの間卵を温め続け、海を離れたのは2カ月前なので合計4カ月絶食のままなので体重は半分に減る(40kgから20kgへ)メスたちがヒナに与える魚を胃の中にたっぷりたくわえてようやく海からもどってくる もしメスが返ってくる前にヒナが生まれてしまうと、たべるものがないので、オスは食道から乳状の栄養物を吐き出し、餌としてヒナに与える。 メスがかえってきてもオスが息絶えてしまうことも・・ オスが待ちわびてもメスが戻れないこと(死んでしまう)もある・・ こうして無事めすとオスが出会えることは本当に幸運なことである 無事メスが戻るとメスは足の上でヒナを育てる。今度はオスが餌をとりに海に向かうが4カ月もの間、餌を食べていないブリザードの中で卵を抱き続けたオスの体力はほとんどのこっておらず、餌をとるのも命がけ・・ 一羽、一羽と歩き疲れて命が尽きてしまう・・たくさんの死の中で生が生まれる カバキゴマチ蜘蛛 最強の毒蜘蛛の最期の日は我が子の誕生日 日本において毒をもつクモは少ないが、最強の毒をもつのがカバキコマチグモである 体長2センチ程度、小さいがこの毒は毒ヘビヤやフグよりも強く、世界の猛毒ランキング6番目である 体が小さく毒が小量なのでかまれて死亡することはないが、激痛がはしり、腫れあがる。頭痛や発熱、ショック症状も起こすことがある 噛まれる事故は6-8月に多くなる。この時期はこのクモの産卵期にあたるので、特に狂暴である カバキコマチグモは卵を守る虫である。自然界の中で卵や子供を守る生物は実に少ない。人間や哺乳類や鳥の仲間ぐらいである。子どもを育てるということは強い生物に与えられた特権である 小さな虫ではとてもまれである。(弱い存在で卵を外敵から守れない) サソリもそうである(毒針をもちこの強力な武器で卵や子供を守ることができる) カバキコマチグモの母親は、巣を離れて餌をとりに行くこともせず、絶食状態でじっと卵を守り続ける やがて孵化して赤ちゃんグモが生まれてくる。母グモにとっては首を長くして待ちわびた瞬間だろう 生まれたばかりの赤ちゃんグモは脱皮を終えると自由に動き回り、母親を食べだす 母親の体液を吸い始め(ミルクをもらうのでなく)る、驚くべきことに母親は逃げようともしない 母親は決して動けないわけでない(その時期に母グモを人間が威嚇すると敵を追い払おうとすることが観察されている)生まれたばかりの赤ちゃんは食欲が旺盛であり、半日もすれば体液を吸い尽くされて抜け柄のような姿で息絶える。栄養たっぷりたくわえた子供たちは次々巣から独り立ちしていく 作者は歌人・中城ふみ子の 遺産なき母が唯一のものとして残してゆく「死」を子らは受け取れ の短歌でこの章を締めくくっています *歌人・中城ふみ子 読むお坊さんのお話のホームページから引用 去りゆく人が残すもの -すべてのいのちがつながっていくみ教え- 千葉県柏市・西方寺住職 西原祐治 遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受取れ 私は渡辺淳一氏の小説では『冬の花火』だけ読んだことがあります。戦後の代表的な女性歌人・中城(なかじょう)ふみ子(1922~54)を小説で書いたものです。冒頭の歌は、その中城ふみ子が詠(よ)んだものです。 北海道の帯広に生まれ、20歳のときに鉄道技師の男性と見合い結婚。3男1女を出産し、離婚。乳がんで片方の乳房を切除(1953年)、翌年に再発し、2月に肺臓への転移を宣告されました。そして8月3日に病死、31歳の若さでした。亡くなった年に出版した、川端康成の序文を付けた処女歌集『乳房喪失』は、歌集としては異例のベストセラーとなっています。渡辺淳一は、中城ふみ子が札幌医大病院で亡くなった時、その大学の医学部1年でした。中城ふみ子とは、直接には会っていませんが、「偶然先輩の医師を訪ねて放射線科の詰め所に行った時、暗い病棟と、そのなかで迫り来る死を待っている人々の群を見た」と、当時、中城ふみ子が置かれていた現場を語っています。魚店を営む両親、乳がんの治療、子育て...、子らに残す遺産は、おそらく皆無であったことでしょう。冒頭の歌は、その遺産のない状況の中で、〝命には終わりがあります。その終わりのある命を生きているのです〟という事実を、自(みずか)らの死をもって子らに残し置きますという歌です。 「死」は、去りゆく人が最後に残してくれる、大切な教えでもあります。 夜は社会人2年目で世の中の厳しさを痛感している娘と梅田で合流し久々の家族3人での食事・・ 少しでもパワーをつけて頑張ってください
2023-09-18 06:27:34
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