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幕末のヒポクラテスたち 5月24日

幕末のヒポクラテスたち 5月24日

高槻アレックスシネマに幕末のヒポクラテスたちを観に行きました

医学生時代、学際で上映されていてみた大森一樹監督の『ヒポクラテスたち』が大好きでした(数年前DVD購入)・・
幕末ヒポクラテスたちは1980年公開の日本映画
「ヒポクラテスたち」へのオマージュ的作品となっているそうで、これは見ないとと、行ってきました
*ヒポクラテスたち
京都府立医大を卒業した大森一樹監督が自らの体験をもとに、大学病院に学ぶ若者たちをいきいきと描いた青春群像。京都・洛北医科大学。医学生の最終学年は臨床実習にあてられ、6~7人のグループに分けられ、同じグループになった主人公の荻野愛作(古尾谷雅人)ら7人は様々な不安や問題を抱えながらも、臨床実習を通じて次第に医者の卵として成長していく物語。伊藤蘭さんのキャンデーズ解散後、映画デビュー作
大森監督が遺した企画を、京都府立医大の150周年記念で映画にした作品で、感慨深いものがありました
長崎で西洋医学を学んだ蘭方医を大倉太吉を佐々木蔵之介、彼のライバルである漢方医を大森監督作『ヒポクラテスたち』で医学生役をしていた内藤剛志、ヒポクラテスで苦学生役だった柄本明らも出ていた
蘭方医と漢方医がいがみ合うシーンが何度も出てきますが、最後には両方に長所と短所があり、ともに「患者を治したい」という想いは同じでであることもうまく描かれていました

本作では、幕末の京都の田舎で腸チフスが流行した様子が描かれていました
*幕末(1850〜60年代)日本は、開国に伴う外国船の来航により、コレラ(コロリ)が大流行し、致死率60‐70%が猛威を振るいました。テレビドラマ「仁」で描かれていました(主人公の脳外科医と緒方洪庵が強力して治すシーンが印象的)
江戸では麻疹(はしか)で1万人以上が死亡し、地震や飢饉も重なって、短期間に多数の命が失われる大混乱の時代でした。
天然痘(疱瘡)も恐ろしい感染症でしたが、佐賀藩(鍋島藩)が主導して実施した先進的なワクチン(痘苗)接種の歴史は非常に有名です。
テレビドラマ「仁」で緒方洪庵先生が尽力を尽くしたシーンや
映画―雪の花―印象的でした
*雪の花
天然痘の大流行によって多くの人が命を落としていた江戸時代末期。福井藩の町医者・笠原良策(松坂桃李)は、天然痘から人々を救う方法を見つけようと、京都の蘭方医・日野鼎哉(役所広司)を訪ねて教えを請う。日野から異国では疫病の予防法として種痘が広まっていると聞かされた笠原は、妻・千穂(芳根京子)に支えられながら、予防に必要な種痘の苗を入手しようと奔走するが、さまざまな困難が立ちはだかる。
幕末は感染症が流行しやすい時代であり、特に天然痘は乳幼児を中心に高い死亡率を誇り、生き残っても顔に「あばた」が残る恐ろしい病でした。その他、麻疹(はしか)も流行し、人々を恐怖に陥れていました。
蘭方医・大倉太吉(佐々木蔵之介)の弟子太吉が『解体新書』を大事に読み、それを弟子となった新左に渡す場面があるのですが、印象に残りました。

この映画のことを調べると・・
撮影準備が進んでいた2022年。大森監督の急逝により、映画は頓挫の危機へと陥ったそうで、京都府立医科大学OBやOGたちから「映画を完成させてほしい」という声が相次ぎ、寄付・クラウドファンディングなどで資金を集めることとなり、企画は再始動したらしい
この映画が生まれた背景には、1872年に創設され、2022年に創立150周年を迎えた京都府立医科大学の歴史がある。明治に入った時に、市民の間から、京都に西洋医学の病院を設立したいという要望が寄せられるようになったが、首都が東京へ移った余波もあり、それは叶わなかった。そこで市民は、お寺や、花街を支える旦那衆や町衆など他職種の人々から寄付を集め、京都東山にある青蓮院の境内に「京都療病院」という病院を建てた。日本の多くの医大は、まず大学などの教育施設があって、その研修の場としての付属病院という位置付けでの考え方をするところが多いが、京都府立医科大学の場合は、まず市民のための病院が先にあり、その後に、病院の人材育成の場としての大学、という位置付けで考えられている。まさに地域社会の医療を反映した成り立ちであり、そうした地域医療を守ろうと尽力した医師たちのルーツが本作の強固なテーマとして貫かれている。「人生は短く、医術の道は長い」
村人からの信頼も厚い太吉。その評判を聞きつけ、多くの人たちが彼を頼った
なお、タイトルにある「ヒポクラテス」とは、西洋医学の祖とされる古代ギリシャの医師の名前で、「人生は短く、医術の道は長い」という格言でも知られる人物だ。幕末の医師たちがひとりひとりの命と向き合ってきたように、現代の医療もそうした過去の積み重ねの上に成り立っている。そしてそれは、医学に対する思い、京都に対する思い、そして映画に対する思いなど、さまざまな歴史が交錯し、積み重ねてきた結果として、スクリーンに結実している。・・と

老医者ももう少し頑張らねばと背中を推してくれる映画でした

2026-05-24 16:30:05

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